何一つとして忘れたくないと願い続けてきた。そも然して長じぬ頃、過ぎ去る時間が二度と戻ってこないことに気付いてから、時間を丸ごと保存してしまいたいと朧に、しかし切に思っていた。或る分野で不可能な事は何も無いと断言する私だが、こればかりは抽象やその分野を総動員しても本懐を遂げられそうには無い。

記憶が { 瞬くうちに−砂が流れるように−溶けるように } 消え去ってしまっているのに気付いてハッとすることは極めて頻繁にある。忘れた(思い出したとしたら、「忘れていた」)何かを随分苦心して思い出せたら、それはとても幸運なことだ。果てしない海で失ったひとつの硝子玉を見つけ出したようなものだから。慕ってくれた後輩の顔も名前も自分が親しい人に何を話したのかも今日が何日の何曜日だったのかも祖母の家から独房に帰ってきたのが何日前の事だったかも忘れてしまっている。或いは思い出そうとした矢先に指先をすり抜けていく。ずっと前に再会したあの子の名前は何て云ったっけ?頑張って名前は思い出した、でも苗字はどうしても思い出せない。聞いた事があったかどうかすらもわからない。最後に兄と話したのは何時だっただろう。近しい友と顔を合わさなくなって何週間経ったのだろう……?あれはいったいいつのことだったか?

記憶の空白、こんなに怖いことは無い。全ての時間を記憶によって保存しておきたいと願いつつ、小さなことすら記憶しておけない。記憶したつもりで零れ落ち、かつてそうであったことと、そうであれと願ったことと、そうであると夢見ただけのことが混ざってしまう。何度も何度も何度も何度も。当たり前だと思っていたことが気付くとそうでない。安心してよりかかれた記憶が単なる夢だ。あれはほんとうにあったことだったか?

記憶した瞬間から急速にそれを破損させ、ぐちゃぐちゃにかき回してしまう。この忘却という病はほんとうに恐ろしくて堪らない。



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